はじめてメンタルクリニックに行ったはなし

 

 

何年も自分で自分に疑いを持っていたが、ついにメンタルクリニックへ行ってきた。

 

結果は、

重度じゃないアスペルガー症候群

重度じゃない不注意優勢型のAD/HD

軽度の双極性障害

だった。

 

 

心理テストの結果を聞いていても、いちいち「だろうな」という感じで、いちいち腑に落ちた。

治療方法などについては説明を聞いていてもあまりピンとは来なかったし、薬飲むんだぁとか治療とかあるんだ!というくらいしか思わなかった。

今回の受診でいちばんよかったことは、形式上ちゃんとした病名がついたことだ。

 

なぜかって、今まで「自分がダメな人間だから」「至らない人間だから」「許されない人間だから」と思っていた性格とか特性みたいなのが、必ずしもそういうわけではないと分かったからだ。

 

アスペルガーでいうと、私は小さい頃からよく空気が読めなかったり、人の気持ちが分からなかった。

例えば幼稚園のころ同級生の女の子が男の子にふざけて砂をかけられた時、その女の子の目に砂が入って、泣いた。するとどこからか来た他の女の子がその子を取り囲んで慰める。私は自分も目に砂が入ったとき先生に流してもらったら良くなったので、そうするよう提案した。アホだった。慰める女の子たちにしこたま怒られた。「〇〇ちゃんはひとの気持ちが分からないの?!!」と。その子たちは、いたいね、ひどいね、××くん最低だよね、などと言っていた気がする。

この日から私は人の気持ちが分からないんだなあとおもうようになったし、義務教育が終わるくらいまではよく言われた。

高校大学くらいからは、自分は言葉選びがどうもうまくないし、ともすると相手の気持ちを逆撫でたり不快にさせるとわかってきたので、気持ちを推し図って言葉をかける場面では、こっそり逃げるか周りと同じことをいうようにした。

自分なりの処世術であった。

なぜなら少なくとも人の気持ちを無碍にはしないから。

でも、これをやるたびに「自分はダメで至らないな」と思った。

 

空気も読めないので、周りからすると天然発言というか爆弾発言をしたり、友達は部活終わりにジュースを買ってるのに一人だけ買わないみたいなこともよくしていた。

自分だって場を凍らせたり、変な空気にしたくてやってるわけじゃなかったが、空気読めないとはよく言われた。ちょうど高校生の時はKYという言葉が流行ったので、よくネタっぽく言われたが、本人に自覚がないし言われることをオイシイとも思っていなかったので、割と辛かった。

高校入学後は中学と違うことをしてみたくてチームスポーツの部活に入ってみたけれど、不満はなかったが心身ともに限界で、1年の夏休みに退部していた。就職するにあたりチーム作業の大切さから団体競技の部活を途中リタイアした自分は根性がなくてダメだなあと思っていたが、診察でアスペルガーはチームスポーツは苦手と説明を受けてなんだかホッとした。ある意味判断間違っていなかったかな?

 

あと、共感は大の苦手だったので、なんでも共感してくれる系女の子は苦手で、そういうことがあると自分は汚いなとか、人でなしだ、とか考えることもよくあった。

 

 

不注意性のAD/HDについては、忘れ物とケアレスミスがかなり多い。

中学の時に水泳部の大会で水着を忘れたことは2回あったし、切符をゴミと一緒にしまって捨てるとかどこにしまったか忘れて買い直すとかしょっちゅうだし、地方在住なのに東京にライブに行ってチケットを忘れることも2度あった。教科書を忘れることも多かったので、高校の時は祖母によく届けてもらっていて、「あの学校の生徒になった気分だっていうくらい私もあの学校に通った」と卒業の時に言われた。

学生の時の、例えば数学のテストなら最初の問題が足し算なら後に続く引き算の問題も足し算だと思ってやり遂げたり、縦に埋めていく回答欄なのに横に書いたりするような、アホみたいなケアレスミスが多々あって、親にはよく怒られた。

就職してからも小さな(けれど重要でないとはいえないような)ミスが多発するので、私のミスをなくすのにはどうすればいいかというミーティングが開かれたこともあった。先輩方はあの時かなり深刻そうに悩んでいたし、私も悩んだ。ミスのしすぎで逆にミス対応が異様に早くなったり、上司が私の仕事のスケジュールを異様に心配してくれたりした。迷惑をかけることはふつうに申し訳なくて辛い。もうこれで解雇されると思って気が重くなることもたくさんあった。でも、この仕事は合わないなと思いつつも、こんなわたしはもうここでしか仕事をするこができないんじゃないか?と思って転職も決断できないでいる。

 

 

双極性障害については説明をよく思い出せないが、木の絵を描く診断をした時、「あなたはもともと明るいので、特に周りからは今回の特性のことはわかりずらいかもしれないですね。」と言われた。うーんそんなことある気がする。

 

今の仕事は微妙に営業みたいなことをするのだけれど、意外とそこそこ成績は悪くない。だから同僚に一人で黙々と取り組む仕事が向いてる気がするんですよね、といっても、そんなのみんなその仕事がいいでしょと言って流されて、そっか〜と思う。を繰り返している。

 

死にたいと思うことは小学生くらいからしょっちゅうあり、自殺未遂の未遂みたいなかわいいことはよくやっっていた。でも根性がないので、苦しさを感じると止まる、みたいなのがしょっちゅう。せいぜい夜寝る時に「明日目が覚めたら死んでいますように」と願いを込めて寝て、朝普通に目が覚めて絶望する、というターンもよくあることだ。

自殺に関しては、ある時、もし私が自殺してこの人が悲しむことがあったら自分を許せない、と思うことがあり、それ以来はとりあえず自殺だけはしないでおこうと思うようになり、試みることをやめた。

 

 

今回私がクリニックを受診しようと思ったきっかけというか、自分は診断がつくんじゃないかなと思ったきっかけは、友人のおかげだ。

学生の時、教育学部の彼女は久しぶりに会った際に今こんなことを学んでいるんだと言って、自閉症やらなんやらなんやらを教えてくれた。その後ネット(主ににちゃんまとめやTwitter)でもしばしばこれらの記事を見るたび、自分て結構あてはまるかも?と思うようになった。

 

じゃあなんで、学生の時に受診してないんか?と思う方ももしかしたらいいるかもしれないが、これもまた、友人が関係していると思う。

ある同じ大学で結構仲がいいと思っていた友人に少し深めな話をした時、意を決して、死にたいと思うことが多々あるということや発達障害じゃないかと疑っていることを話したことがあった。理解は得ずとも、辛かったねくらいは言ってもらえるんじゃないかと甘い期待をしていた。が、全然予想と違う反応をもらって面食らってしまった。

甘えるな、〇〇の悩みはただの不注意で、努力不足と準備不足で、自分勝手なだけ。そんな悩み誰でも持ってるし、ほんとに障害がある人を舐めないでほしい。そんなようなことを言われて、戸惑った。

 

え、女の子って、共感の生き物じゃなかったの?私はまた共感してもらえなかったんか。

 

確かに、私は空気は読めないが、コミュ障を自称しても信じてもらえなかったり、周りからは結構充実した人生を送ってると思われることは少なくない。多分、友人はそんなことないよと言ってくれたのだと思うが、その時の私は、私って人が普通に気がついて普通にこなすことを成せない、人並みよりもレベルが低い人間なんだな、と思った。

 

当時は今回のような診察が保健の適用内だとも知らなかった。

当時は無知で、一度の診察でお金がたくさんかかるのだと思っていたし、わざわざ病院で話すだけでも泣きたくなるようなことを話してこんなふうに怒られたら大損だなと思って、やめた。

就職後も、先生に怒られたらやだなと思って県内のクリニックを探してはやっぱやめ、みたいなのを繰り返していた。そしたら先日、少し遠いけど気になっていたクリニックの分院を近所で見かけて、意を決してみたわけだ。

 

診察は結構淡々としていて、結構よかったと思う。

 

何より、スッキリした。

 

なんせ長いこと自分は生まれながらに「ダメな人間」「至らない人間」「許されない人間」と思って日々生きていた。その原因が、ふんわりとした人間性だけでなくて障害に起因する特性にもあったんだ、と分かったのだから。

 

とりあえず今日は診察の気にもらった資料を読んだだけだが、もうちょっと勉強して付き合い方を考えるか、と思っている。なんせ死ぬまでは生きなくちゃならんのだ。

 

今後どうなるかは分からないが、今夜は泣きながら寝なくてすむかな、と思う。